1.身心の学でないものは学問ではない
2.陽明の五溺
3.六然と茶
4.竜場撤吾
5.この心光明亦復た何をか言わん
山中の賊を破るは易しく、心中の賊を破るは
難し
前回は1.をお話しました
今回は2.陽明の五溺 です
科挙という官史登用試験に及第し進士となった陽明は、政府の土木関係事業の任に就き墳墓造築の監督官を命じられました
ところがこの工事の間に、落馬して吐血することがあり、これ以降、彼は肺患にくるしめられることとなります
20代後半から30代初めまでの彼は病と闘わなければならないこともあって任侠、騎射、文学、道教、仏教に溺れるように没頭しました
これを陽明の五溺と言います31歳にしてやむなく退官する一方で覇気と情緒と解脱の満足を
五溺という心の外に求めた結果、陽明は本当の
自分を作るということの反映が、環境や社会の
建設にならなければならないという真理に到達します 安岡先生は、このような陽明の内面生活を独の生活と呼びました 世の中がどうであろうと、他人がどうであろうが何ものにも頼らずに自分自身に撤して生きていく 独は孤独と
いう意味ではなく、絶対を意味します また、
陽明学は従吾の学とも言われます
学問が好きでならない こうならなければ、本当の学問ではないといえます