連載 54回目 続人生訓

1.身心の学でないものは学問ではない

2.陽明の五溺

3.六然と茶

4.竜場撤吾

5.この心光明亦復た何をか言わん

山中の賊を破るは易しく、心中の賊を破るは

難し

 

まずは今回はこちらから

1.身心の学でないものは学問ではない です

理論的な朱子学と実践的な陽明学 しばしば

朱子学との対立が強調されますが安岡先生は

軽々しく朱王の学の相違を論ずるなどは

陽明先生も嫌ったことであるが慎むべきことで

あると指摘し両者の連続と関連を語ります

朱子も陽明も同じような風格経歴の師を得たと

いうことに共通点があり陽明の師である樓(木へんなし)一斎が学問する者は細務も自らできねば

ならんと言って掃除のようなことまで全て自ら処理したように生活そのものが、修行の一環であって足を地につけ、腰をしっかり据えることが大事だと説きます

肝腎要というのは、肝臓と腎臓と腰ということであり、要は肝臓や腎臓と同格であるから後になって肉月(にくづき)をつけて腰という漢字になった 上半身と下半身の連絡が悪くなると

駄目になってしまうから人を罵るのに腰抜けと

言う。同様に足というものは全身の生理に最も関係が深く足が丈夫であれば、大体健康となる

それ故、足は足る(たる)と読む

本当の学問というのは身心の学でなくてはならずそれを取り立てて、力説したのが陽明学です

 

連載 53回目 縁尋の機妙

今回は生き方、人生訓から

はじめて就職した会社の顧問に

安岡正篤先生がいらした 今思えば、なんと幸

福なことか 歳を重ねてまた教えを紐解くこと

になった

 

人間あるいは人生とはなんと不可思議なものか またしみじみと限りなく考えさせられます

人間というもの、人生というものの神秘さにい

よいよ感を深くする次第です

自己に内在する良知を極める致良知知行合一

の実践哲学こそが天地万物一体の仁と災いの原

因になるものを徹底的に取り除く抜本塞源の叡

智を教える陽明学を学ぶことは、物で栄えて心で亡ぶと言われる物質文明と人間疎外の現代に

あってまさに、自己を確立し人間性を回復する

警醒の活学となり得るものだと確信します

これからは少荘気鋭の時代の王陽明研究と老成円熟の碩学による王陽明伝〜王陽明の生涯と教学という新旧二つの名著を下敷きに解りやすくと平明にを念頭に王陽明陽明学について説いた講和集 安岡正篤 王陽明からご紹介していきます 続く