連載 第36回目 一つの時代のおわりにおもう

文 沖村先生

毛利衛日本科学未来館館長退任(2021.3.31)

平成10年、旧科学庁科学審議官時代、補正予算で科学館建設予算430億円を獲得。
平成11年、科学技術振興事業団専務理事となり、科学館建設責任者となった。

元東大総長吉川弘之先生始め日本最高の科学者による監修委員会を組織し、科学館のコンセプトを作って頂いた。

日本の科学の拠点を目指すコンセプトに従って、安西祐一郎元慶應大学塾長(エレクトロニクス)金澤一郎東大教授(ライフサイエンス)、茅陽一東大教授、(環境)北澤宏一東大教授(技術革新)が責任者となり、日本最高の科学者に展示物を作って頂いた。
全て、科学的なオリジナル展示物である。

こうして、科学者による科学館の建設が進んだ。運営も科学者があたるべきだと思い、館長には、元北海道大学助教授、核融合材料の研究者、毛利衛宇宙飛行士にお願いした。

毛利館長には、日本のフラッグシップミュージアムを目指して欲しいと頼んだものの、当時のお台場は、建物も疎らな僻地で、既に、上野に科学博物館、皇居隣りに科学技術館があり、不安だった。

然し、成功の希望を持たせる事件が2件。
① 2000年大晦日、NHKの「行く年、来る年」に毛利館長が出演。まだ未完成の未来館に裸の蛍光灯を張り巡らした、夜目には未来に飛び立つ宇宙船のような未来館から、毛利館長が、21世紀を迎えて、熱く、科学と未来について語った。
世の中の求める波に乗った!と実感した。
② 毛利館長は、就任後まもなく、自民党有力者数人から、参議院議員立候補を誘われた。
当時、有馬元東大総長が、参議院議員となり、文部大臣、科学技術庁長官になり、ご活躍されていた。
ご一緒したところ、前途洋洋たるこの誘いに、毛利館長は、どなたにも、
「多額の予算を使い体験した貴重な宇宙での体験を若者に伝えることが使命と考えており、お断りします。」と、キッパリ断る。
柔和な笑顔からは想像が出来ない、力強く、ブレない信念の人を垣間見て、この人が館長なら大丈夫と確信した。21年間!

日本科学未来館は、常に、最新の科学技術を追い続け、世の中に、若者に、訴え続けている!
多くのサイエンスコミュニケーターを産み出し育て、明るい、アグレッシブな組織となっている。オバマ大統領を始め世界中の要人が来訪。
世界宇宙飛行士会議、世界科学館会議等巨大な国際会議が開催。世界中で最も輝く科学館となり、毛利館長は、世界中の科学館のアドバイザーとなり、世界の科学館のリーダーとなっている。閉館後6時から2時間。未来館3階、ジオコスモスの前職員全員が集まり、毛利館長に感謝の言葉、笑いあり、涙あり、ハグあり。

外国科学館、宇宙飛行士等からメッセージ多し。小生も謝辞を述べさせて頂く栄に浴する。

最後に、毛利館長から、熱意に溢れた挨拶あり。そして、最後、「私は、やりきった!」と仰り、感動する。